日本社会での生物系の博士号を考える

これは、生物系の博士号についての雑感です(それ以外の分野の方は、参考程度に)。

博士号は、学位の1つです。学校教育法で定められています。学位は称号です。資格ではありません。そのため、独占業務はありません(何かの応募の要件にされることはありますが)。海外では、ビジネスに有利に働く場面があるようです。

博士号を取得する方法はいくつかあります。一般的なのは、大学院生になって、いろいろ頑張って、学位審査とその後の教授会で認められる方法です。博士号を目指してから取得までには、大学院の入試、進級審査、学位の要件、学位審査などの通過点がありますが、これらの難易度は機関や専攻に依るようです。

タイトルで”日本”と付けましたので、1つの比較として、米国の大学院を書きます。米国の大学院の入試は合格率が非常に低いです(優秀な学生は数校から合格をもらいますが)。入試前に学術論文を書いていることが当たり前だったりします。進級審査では、複数の専門家が客観的かつ対等に試問します。学位審査は何段階かに分かれていて、1ヶ月以上かかる学生もいます。その代わり、大学院生の生活費はサポートされていて、研究に集中できる環境です。そして、よくトレーニングされた博士達は、社会で期待される存在になっています。博士号をPh.D.と言いますが、米国でPh.D.だと言った時の反応を見れば、実感できます。

では、日本での生物系博士はどうでしょうか?アカデミアは博士号取得者にこだわりがあるでしょう。一方で、日本社会の研究開発や技術開発では、高卒、専門学校卒、学士、修士といった人材が活躍しています。それを知ってかどうかはわかりませんが、世の中には博士の社会進出や多様な活躍の場の開拓をとなえている意見があります。しかし、社会人としての経験がなく、また、実力をどう発揮したらいいかの実感もない博士人材が、どうやって社会進出をするのでしょうか。博士が、現場で鍛えられた高卒などに、社会の中で敵うのでしょうか。博士人材を社会に排出してアカデミアの影響力が強くすることが優先で、博士個々人の幸せや社会の発展は二の次、ということはないでしょうけれど(少なくとも筆者はそういうアカデミア指導者に会ったことはありませんので)。

日本では、アカデミアの博士や大学院生の多くは、主に学術論文を書くために研究や情報収集をします。学術論文は数人の査読者と編集者の評価で受理されて世の中に出ます(大勢の支持を得たわけではない)。では、世の中に対し、研究成果を出版する使命感や責任感、その行為が社会や他者に及ぼす影響を、その人達は認識しているか、指導者は意識させているか、というと、そこに重きを置かない場合が多いようです。だとしたら、誰が、博士の社会進出に責任を持つのでしょう。例えば、自分の仕事が世の中に及ぼす影響に配慮できない人が、企業で研究開発や製造管理をした場合、その製品を買いますか?例えば、高給の博士を雇用した企業がその人の社会人トレーニングに費やしたコストを製品価格に上乗せせざるを得なくなった場合、納得できますか?

しかし、社会人として研究開発などのキャリアを経た後に博士号を取得された人は別です。学部→大学院と進んだ人材のほとんどは、博士号取得の時点では未熟なのに対し、社会での経験と実績を伴って博士を取得された方の場合、実力が認められての博士号です。そうなると、博士の社会進出では、社会人博士が良いと考えることもできます。アカデミアの指導者が社会人博士をどう考えるかはわかりませんが(いろいろなご意見があるでしょう)。

また、日本の生物系の研究開発や技術開発で博士の雇用が必要とされない理由に、日本では、高卒~修士卒の人材でも、研究開発の現場で十分に活躍できるポテンシャルを持っている、という利点が挙げられます。

では、博士課程は不要か?アカデミアで成長した博士人材は社会に不要か?と言われると、そうでもないようです。アカデミアでの研究活動で鍛えられる次の能力は、社会に必要とされています。疑問をもつこと、固定観念にとらわれないこと、不明点をみつけて追求すること、データに基づいて客観的に議論すること、他人の意見を受け止めて発展させること、解決策を創出すること、プロジェクトに責任を持つこと、などです。しかし、それらをどのレベルで身につけるか、今後どれだけ伸ばせるか、また、社会に応用できるか、は個人に依ります。(専門分野に詳しいだけの、ただの物知りになってしまった人もいるでしょうけれど)

博士の社会進出が推進されています。そして、博士人材を求めている企業や団体は日本に存在します。博士人材と社会の双方が求め合っているのに、博士人材のアカデミア外での活躍がほとんど実現していません。なぜでしょうか。どうすればよいでしょうか。例えば、生物系だったらこの業界、博士だったらこの職種、といったキャリア指導ではなく、柔軟に各個人の人生を考えてあげてはどうでしょうか。前例がないところに進んでいけるのも博士の強みの1つです。多くの人に支えられて育成された博士人材が社会を良くしていく将来が楽しみです。

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