前成説、後成説

話題

人類はいつから、遺伝を意識し始めたのでしょうか。英語では遺伝子をgeneと書きますが、geneは、遺伝子の概念が生まれる前は家系図を示す時に使われていました。遺伝学geneticsという単語は、科学者が遺伝を認め遺伝学を拓いた時にできています。受け継ぐという意味で、hereditaryという単語も使われます。しかし、人類は、そういった単語ができる前から、子が親に似ること、ある生物からは同じ生物が生まれること、などは理解していたでしょう。

今から6,000年くらい前、紀元前4,000年の古代バビロニアの石に、ウマの頭部やタテガミの形質の伝わり方の記録がみつかっているそうです。そのことから、今から6000年くらい前には、人類は、家畜の交配のときに形質の伝わり方を考えていたことがわかります。人類が残した記録はみつかっていませんが、約20,000年前から農耕が始まり、約10,000年前からイネの栽培が始まったとされています。その10,000年の間に、人類は形質が次世代に伝わることを理解した上で、栽培に適した個体を選り分け、野生のイネを栽培種化したと考えられます。

紀元前4世紀のピタゴラスは、三平方の定理で有名です。ピタゴラス学派は、直角三角形で遺伝を説明しようとしました。直角を作るどちらか一方の辺を母親とし、もう片方を父親とする、そして斜辺が子の形質を表す、という説です。彼らは、父親の形質が母親の中で育って子になるという考え方をしていたようです。考え方はどうであれ、そういった説が残っていること自体が、彼らが遺伝に強い興味を持っていたことを示しています。

ピタゴラス学派は、子に伝わる情報は父親由来の精子にあるという考え方でした。生殖時の父個体の情報が精子に濃縮されていて、それを基に子個体が作られる、というものです。それに対し、紀元前3世紀に、アリストテレスは、母親と父親の形質が遺伝して、それらが混ざり合って子の形質になると説いています。母親はさらに子の体を作るための材料も提供するとしていますが、彼はその材料は月経血と考えていたようです。アリストテレスは、父親の情報しか遺伝しないのであれば女性が生まれることを説明できない、生殖時に父親が老化を経験していなくても子は老化する、精子説では隔世遺伝を説明できない、などのいくつかの論点からピタゴラス学派に対抗しています。アリストテレスの考え方は、現在の遺伝に対する考え方と基本的には同じです。しかし、一旦、人類はこれを忘れます(諸事情がありまして、、)。

中世になると、ピタゴラス学派の精子説と同じ考え方の前成説で遺伝が考えられます。父親から提供される精子の中に子の情報が全て入っていて、母親の胎内でそれが膨張する、という考え方です。顕微鏡観察で小さなヒト(ホムンクルス)を精子の中に見た、という記録もあります。この説ですと、入れ子状に親の体には将来世代の全ての子が小さくなって入っていることになります。何もないところからヒトが発生するよりも、小さなヒトが大きく育つ、ということの方がイメージしやすかったようです。

この時代に、ダーウィンとメンデルが活躍します。ダーウィンは、ある形質を獲得した個体がその形質を伝えるためには遺伝の概念が必要であると考えていました。メンデルはエンドウマメの実験で、遺伝の粒子説を述べています。ダーウィンがメンデルの論文を読んだと言う証拠はありませんが、メンデルはダーウィンを意識していたようです。メンデルの実験は、形質ごとに遺伝すること、母由来と父由来の遺伝情報が混ざらずに子に存在しそのどちらかを次の世代に伝えること、を導きました。メンデルは遺伝の単位を粒子としていました。この粒子は、後に遺伝子と呼ばれるようになります。アリストテレスは子では母と父の情報が混ざり合うと考えていましたが、メンデルは遺伝は単位ごと(遺伝子ごと)に伝わると証明しています。このように、子が両親から遺伝された情報を基に形成されることを、後成説と呼んでいます。

一方で、ダーウィンは、当時、遺伝によって親の形質が正確に伝わることで種が確立されていくことと、遺伝情報に変化が起こらなければ種の分化や適応進化は起こらないことをうまく説明できずに悩んだようです。生物種の維持のための遺伝と環境適応のための多様性は、現在でも生物学の大きな疑問として残っています(レックのパラドックス)。近年、遺伝のシステムと多様性の維持の両立は、生物種に共通して必要な能力であるが、それを実現しているメカニズムは1つではないかもしれない、ということがわかってきました。1つは、生殖の過程で遺伝情報に変化が起こることが知られています。もう1つは、熱帯のグッピーの例ですが、積極的に外来個体と交配することで多様性を維持する行動をとるようです。今後も、レックのパラドックスを成り立たせている様々な現象が報告されるでしょう。

後成説が考えられるようになったからといって、前成説が失速したわけではありません。遺伝情報こそが生命の本質であり、物質(細胞や個体)はその運び手と考えると、子を形成するための遺伝情報はすでに親個体の中に入っており、前成説と言える、とのことです。生物について新しい概念が出る度に、こういった論争が繰り返され、刺激し合って、前進していくのでしょう。

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